スポーツイベントの企画・運営業務
海外遠征・留学コーディネート業務
アスリートおよび指導者のマネジメント・エージェント業務 等
2002年の日韓ワールドカップ。
当時中学3年生だった私は、世界各国の代表選手によるスーパープレーに毎日胸を躍らせていました。
特に、闘将カーン率いるドイツ代表に魅せられ、ドイツという国に興味を持つようになり、ドイツの都市名やブンデスリーガのチームを調べ上げ、各クラブのユニフォームを買いあさり、気が付けばドイツ国歌を全て暗唱できるようになっていました。
時は流れ、30歳手前になった私の元に、ドイツ・デュッセルドルフでの駐在の話が舞い込んできました。
日韓ワールドカップ以降、英語の勉強にも励み、いつか必ず海外で働きたいと願い続けていた私は、少年時代に憧れた国で、夢の第一歩を踏み出すことが出来たのです。
しかし、現実はそう甘くありませんでした。
私「はじめまして!日本から来ました!」
現地の人「やあ、ニーハオ!」 「昨日は何時間働いたの?カローシ(過労死)大丈夫?ハハハ!」「日本ってよく知らないけど、アニメとマンガは頑張ってるよね!」
これらは、もちろんごく一部の方からであるものの、私が3年間のドイツ生活で、実際に言われた言葉です。
道路を走っている車も、皆が手にしているスマホも、家にあるTVにも、日本メーカーの名前はほとんどありませんでした。
「日本って、こんなに存在感薄いんだ・・・」
日本人として誇りを持って異国の地に降り立った私は、大きなショックを受けました。
現地の仕事も、当初は中々上手くいかず、精神的にかなり苦しい日々を送っていました。
そんな海外生活で、心の支えになったのは、地元のプロサッカークラブ”Fortuna Düsseldorf”(通称フォルトゥナ)でした。
週末になると、家の前にはクラブフラッグが立ち並び、バーではユニフォームを着た人びとが笑顔で盃を交わし合い、かたや中央駅では敵サポーターの大行進が始まり、そしてスタジアムでは両軍サポーターによる大合唱。私もその日ばかりは仕事を忘れて、ドイツ各地を回り、フォルトゥナを応援し続けました。
そして何よりも誇らしかったのが、ドイツでの日本人選手の活躍でした。
当時はフォルトゥナに宇佐美貴史選手、原口元気選手が在籍。他ブンデスリーガのチームにも、長谷部誠選手、大迫勇也選手などが活躍しており、現地の方々から日本人選手の事を褒められると、自分の事のように嬉しい気持ちになりました。
スポーツの力は本当に偉大です。
日本へ帰国後、私はFortuna Sports株式会社を設立しました。
“Fortuna”という単語はローマ神話「幸運の女神(フォルトゥーナ)」に由来し、「幸せ」という意味があります。
スポーツを通じて、世界をもっと身近に感じるきっかけが生まれる。
スポーツを通じて、世界で活躍する人材が育っていく。
そして、スポーツを通じて、人びとの幸せな笑顔が生まれていく。
Fortuna Sportsを通じて、こんな世界観を作り出すことが出来ればこの上ない幸いです。